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ダイジェストDigest

難民の声、家族の歴史から考えた「共に生きるとは何か」 お話 安田奈津紀さん(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)

 クルド人たちへのヘイトが横行しています。「日本人ファースト」と喧伝しているが、共に生きている命にファーストもセカンドもありません。私たちがどのような社会を次の世代に繋げていくかが問われています。戦後80年・被爆80年。あの戦争を振り返る機会が、今様々なところで準備されています。
 2011年、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故がありました。大熊町は津波と被爆による被害で、立ち入りが制限されています。行方不明者の捜索で重機を入れた活動は2016年になりようやく開始されました。そこで娘さんのご遺体の一部が発見された木村さんは、喜びたくても喜べないと語ります。泥だらけのマフラーとともに見つかった首の骨の一部。津波のあと、自分が娘を置き去りにしたのではという自責の念が常にあったといいます。沖縄で戦没者の遺骨捜索をしている具志堅さんのもとに木村さんが訪れます。「自分の娘の遺骨を拾いたい。遺骨が見つかった場所を慰霊と伝承のために残したい。けれどそれは、自分のわがままなのか」木村さんの問いに具志堅さんは「それは人間の尊厳の問題、あなたには声を上げる権利がある。「一人の利益のために全体の利益を損なうな」と言う人もいます。しかしひとりの人間を大切にできないのに、社会を大切にできるはずがないのです」と語ります。
 大熊町での遺骨捜索に沖縄の具志堅さんも参加しました。たとえ遺骨が見つからなかったとしても、「捜索していることが行動を伴った慰霊」具志堅さんはそう振り返ります。「役に立てるかわからない」という具志堅さんが捜索作業に加わって20分、娘さんの大腿骨が見つかりました。
 沖縄での遺骨捜査は続きます。ひめゆりの塔の資料について、西田議員の発言がありました。「『日本軍が沖縄に入りひめゆりの隊が死に、アメリカが入り沖縄が解放された』文脈は歴史の書き換え」と暴論は許せません。だからと言って、犠牲者を日本のために戦った「英霊」として扱われても、それは違います。今、沖縄本島の南部地域に残された戦没者の遺骨が混じった土砂が、米軍辺野古新基地建設の埋め立てに使われる可能性も出てきました。沖縄で「戦後」と言っていいのでしょうか。戦後80年の現在、沖縄は「戦争」で苦しめられているのです。

 

 海から見るときれいなガザ地区も、漁師さんは「ある範囲から魚を求めて出たら、捕まるか撃たれるか」の状態と漏らします。いったん市街地に入ると爆撃によって破壊された建物がそのままあります。いまでも瓦礫の撤去は行われていません。犠牲者は6万人を超えていると報じられますが、瓦礫の下にいるであろう犠牲者は不明のままです。この惨事はすでに2014年から行われているのです。まさに天井のない監獄。そのガザで、国連パレスチナ難民救済事業機関が運営する学校では、3月15日に行われる凧あげの準備をしていた。2012年から毎年3月、東日本大震災の被災地の復興の復興を願う凧あげが継図いているのです。子どもたちは「日本の人たちが送ってくれたメッセージを見て、運営する元気をもらい、文具・救援品で育ってきた。」「自分たちの家が壊されることがどんなにつらいことかをよく知っている。」「今度は私たちが、何かを日本に伝える番だと思ったのです。」もしかしたら、「日本のために祈ってくれている子どもたちを守る」という考えを持つかもしれない。しかし、人権や人命、人間の尊厳は決して「いいことをした対価として与えられる」ものではないのです。国籍・国境を越え、思いを寄せている子どもたちに、私たちはどのように応えるべきかを考えさせられます。

 

 覚えていますか?2011年3月、シリア内戦が起こります。2010年にチュニジアで起きたジャスミン革命が広がって、2011年にアラブの春へ発展します。シリアではアサド政権と反政府軍の間で内戦が起こり、「イスラム国」の」の介入から、内戦が泥沼化してしまいました。シリア国民は大量の難民となり、国外に流出しています。日本に難民認定された人は2024年度190人です。これでも多く、普通の年で認定される難民は80人ほどです。他国の難民認定はどうでしょう。カナダは46,480人です。2021年の難民受け入れ数は、ドイツ38,918人に対して日本は71人です。戦前の入国管理が戦後にも受け継がれているため、日本で生まれても日本国籍を持てない人が存在しています。難民の認定の基準が他の国に比べて厳しく、政府から個人的に「命を狙われていない」場合は認められないのです。また、審査でも難民が母国に帰れない理由を客観的証拠に基づいて証明することが要求されます。難民と認定されなければ、日本国籍を持つことは難しいです。
 私の父親は、1カ月300冊の絵本を読み聞かせをしてくれました。父親が絵本を読めなかったとき、何気なく「変だよ、お父さん、日本人じゃないみたい」と言ってしまいました。その後、NPOでカンボジアに行くためパスポートの申請をしたときに、父親が韓国籍ということがわかったのです。私は、母親の国籍である日本国籍を持ちます。しかし、兄は父親に子どもとして認知されていませんでした。1985年、国籍法が改正される前は、父親の国籍である韓国籍になるため、日本国籍を持たせるための方策だったと推測されます。兄に、在日韓国人として受ける差別や困難をさせたくなかったのでしょう。
 2010年3月、京都朝鮮第一初級学校で、在特会のメンバーが大音量で授業妨害をした事件がありました。「日本に住ませてやっているんだ」などと騒ぎ立てたのです。2015年「日本浄化デモ」と称して、川崎市富士見公園ふれあい広場からヘイトスピーチが行われました。このとき警察は「止める権限法がない」という理由でこのヘイトスピーチを認めたのです。それからも川崎市で「日本浄化デモ第二弾」と称したヘイトスピーチが行われたのです。2016年、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(ヘイトスピーチ解消法)が施行されました。川崎市議会は議員全員の連名で公園使用許可を出さないよう市長に求め、川崎市は、「日本浄化デモ第三弾」の起点となるふれあい広場の使用を不許可にしたのです。
 身近な差別をどうなくしていくか、私たちは明確に声を上げることが大事なのです。

 

 ガザの凧あげに対し、日本からもガザの人々に対する連帯の意思を示した全国一斉凧あげアクションへの参加が呼びかけられました。大熊町から木村さんは凧あげの参加を呼びかけ、2024年11月18日、約10人が参加しました。ガザの惨状をニュースなどで知りながら、何もできないことにもどかしさを感じていたといいます。「社会の裏で、誰かを犠牲にしないということを目的に活動しています」と語る木村さん。沖縄で遺骨捜索を続けている具志堅さんも、「不条理の傍を黙って通り過ぎるわけにはいかない」と、日々活動を続けています。
 犠牲を前提にした虐殺や社会の不条理に、どうとりくむべきかが問われています。

 

 戦後・被爆80年、だれかが語り部として、世界に、そして次の世代に語り続けなければなりません。「誰かがこの不条理を語り続けること」が大切なのです。教員であるみなさんが子どもたちに「どう思う?」と問いかけ、自分が語り部となって伝えてください。